インタビュー概要

2021年3月に国際医療福祉大学を卒業。
大学時代は言語聴覚士学科を目指し国家資格へ向けて実習や授業で忙しい日々を過ごす。就職後は言語聴覚士として想いを持って働くものの、1年目にうつ病の診断を受ける。休職した後に復職するも、職場の人間関係もうまくいかずに退職を決意。
現在は、言語聴覚士として再び職に就くために療養生活を送っている。

退職者情報

職種言語聴覚士
最終学歴私立大学
きっかけついていきたいと思う人、尊敬できる人がいなかった
決め手周りと自分の仕事に対する向き合い方の違い

退職企業情報

業界看護業界
規模医療・保健・福祉グループ
上場有無非上場(医療法人グループのため)

インタビュー

専門性を極められる環境を探した就職活動

インタビュアー
インタビュアー
本日はよろしくお願いいたします。まずは、言語聴覚士を目指したきっかけを教えてください。
第一志望は看護学科で、第二志望が言語聴覚士学科でした。国際関係の学科にも興味があって、他の大学の国際関係の学科に合格したんですが、その合否発表が遅かったのもありましたし、やっぱり看護系の勉強をしたいと思って、国際関係の学科に進むのはやめました。
他の大学の看護学科にも合格したんですが、既に国際医療福祉大学に入学金を払っていたので、仕方なくそこは辞退しました。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
看護系も同時に目指していただけど、言語聴覚士を目指すことになったんですね。
学生時代はどのように過ごしましたか。
地元を離れて大学に進学したので、一人暮らしスタートしました。第一志望ではなかったですけど、看護学科じゃなくて言語聴覚士学科でよかったと思うことは多かったです。言語聴覚学科でも実習がきついのに、看護学科はもっと実習がきついというのはわかっていたので、それは自分には無理だなと思いました。アルバイトもして、奨学金を借りながら生活していました。高校時代に歯科クリニックのアルバイトしていたんですが、大学時代は大学内の図書館でのアルバイトをしていました。
国家試験が4年生の2月末くらいだったので、就職活動も資格に受かるかわからない状態で進めていました。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
就職活動はどのように進めましたか?
コロナ禍だったので、実習期間が延びたり縮んだり移動したりして、就職活動も大変でした。実習が終わったら4年生の9月頃からスタートしました。それ以前にもキャリア支援の説明会などは学校内であったので、そういう会には参加していました。
実習は3年次と4年次があって、3年次はコロナじゃなかったので約2か月間、4年次はコロナ禍だったので8月~9月ごろに約1か月間でした。実習先には絶対に就職したくないと思っていました(笑)。実習では2つの施設に行ったんですが、1つ目の施設では指導者と相性が悪くて、抑うつ状態になってしまいました。2つの施設は小児施設だったんですけど、子どもと接することが苦手だと気づいて、小児の分野には進まないと決めました。
実習先は大学の関係先でした。それまでの成績や性格や特徴が加味されて、「その配属先でやっていけるか」ということを踏まえて、大学の教員が実習先を割り振りしていました。
ご本人
ご本人

患者のことを考えられていないと身をもって実感した

インタビュアー
インタビュアー
入社の決め手はなんでしたか?
4年生の9月頃からスタートして、小児の分野じゃなくて成人の分野で働こうと決めていました。自分が何をやりたいかを基準に考えていました。高校時代も書道科に通って、専門性を極めていました。一般的なところではなくて、専門的な分野を極められるような場所を探して、神経難病専門病院を受けることにしました。神経難病にも興味があったし、専門分野を極められる専門病院という理由もありました。
大きなグループの専門病院なので、病院に見学の連絡をして、病院の見学をした上でグループに応募をします。連絡を受けて、「どこの病院に配属されたいか?」と聞かれました。次に面接を受けて、内定が出るという流れでした。内定時には配属される病院は決まっていて、職種も決まっていました。
第一志望の病院を見学した時に、「広く視野を持ってほしい」「多くの病院を見て、この病院が自分に合ってるかを判断してほしい」と言われ、同じグループの他の病院も見学しました。個人的には第一志望は決めていたので、受かるための見学という気持ちでもう一つの病院に見学に行きました。
他の人は見学をしないで就職していく人も多かったです。地元に戻る人もいたり、「家族が看護師だから」という人も多くて、そういう人は身内のコネで就職先が決まることもあったようです。
ご本人
ご本人
インタビュアー
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試験が終わってから入社までの間はどんな風に過ごされていたんですか?
国家試験が終わったのが3月で、「合格しました」と電話で連絡をしたら、すぐに入社のための準備が始まりました。入社日には、いろんな職種の同期と入職式(一般的な入社式)がありました。コロナの影響もあったので、病院単体でやっていました。ただ、病院の代表として1人だけ選出されて、その人は別の場所に行ってオンライン中継で入職式に参加していました。同期は16人くらいでした。職種は様々で、言語聴覚士は私だけでした。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
入社後の研修について教えてください。
国家資格を持っていても、やはり入社後の研修はあるんでしょうか?
コロナ禍だったので、他の同期は実習すらない人がほとんどでした。
なので、「とにかくまずは実習をやる」というスタンスで研修をしてもらっていました。そこからアドバイザーの先輩に教えてもらっていました。働いていく中で職種間連携が大切だと教えてもらっていたので、実習中は他の職種との連携についてを教えてもらうことが多かったです。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
退職を考えたきっかけを教えてください。
1年目にうつ病と診断されていて、休職をしたんですが、その際に職場との間に問題が生じてしまい、不信感を感じました。その時は上司の言葉で復職して、そこから1年半は頑張ったんですが、「ついていきたい」とか「尊敬できる」という人を見つけられずに、なぁなぁに働いているみんなが敵に見えてしまいました。
双極性障害と診断をうけて、なぁなぁで仕事をしている人が周りにいる中で、「言語聴覚士をもっと良くしたい」と思っている自分とのギャップが大きく出てきたので、辞めようと思いました。

 

うつ病と診断されたのは、1年目の3月末でした。自傷行為をよくしていましたが、自分が病気だとは思っていませんでした。病院に行く敷居が高かったということもあり、受診はしていなかったんですけど、知人に勧められて受診しました。

ご本人
ご本人
インタビュアー
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尊敬できる人がいなかったんですね。
職場への不安感とは具体的にどのようなものでしたか?
休職してから、「職場が原因の休職だ」と会社の本部に伝えたのにも関わらず、週1~2回の頻度で職場から連絡がありました。職場が原因だと言っているにも関わらず、休職している自分に職場から連絡が来るなんて、「患者のことを考えられない企業なんだ」と思いました。連絡をしてきた上司は、「本部から指示があって連絡をした」と言っていました。
大きいグループなので寮があって、私は寮に住んでいました。家族関係が良くなかったので、寮での療養生活を望んでいました。「実家に戻ると精神状態が悪化する」と医師に言われたのですが、それを会社に伝えたら、「寮に戻りたければ1日1回上司と電話しろ」と言われました。それでは療養生活にならないと思ったし、患者の気持ちを汲み取れない企業には居れないと思いました。
ご本人
ご本人

仕事に対する向き合い方が合わずに退職を決意

インタビュアー
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休職の原因はどのようなものでしたか?
教育体制がなっていなかったのが原因だと思っています。発達障害の問題児のような扱いをされていて、何か問題を起こすと、職場の全員にそれを広められてしまっていました。職場で一緒に働くというよりは、みんなが敵に見えて敵を倒しに行くみたいな感覚で、自分の感情を殺さないとそこで働いていけないような感覚でした。
問題をみんなに広められてしまうことについては、本部にも相談したんですけど、「それは情報共有だよ」と言われて、相談できる相手がいなかったです。それが、休職に至った原因だと思っています。休職期間は4か月間で、2年目の8月くらいに復職しました。復職してからは1年間くらい働きました。
ご本人
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インタビュアー
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辞める決め手はどんなものでしたか?
言語聴覚士だけでミーティングをしていた時に、問題提起をしても流されてしまう状態でした。例えば、レクリエーションを企画、実施するときに、リハビリ職なので身体の機能面と楽しい思ってもらう生活面の両立が大切だと思うんですが、楽しいだけの内容で単位をとっている状態だったので、「機能面も考えた方がいい」という提案をしていました。機能面に働きかけないレクリエーションだったら、ボランティアでもできると思っていたので。ただ、その提案は軽く流されてしまうような状態でした。そういうのが決め手になって、辞めることを決めました。
※単位:20分のリハビリを1単位
ご本人
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インタビュアー
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辞めるときに誰かに相談しましたか?
うつ病になってから、辞めるか辞めないかはずっと考えていて、「どうしたら辞めずに働き続けられるかな」ということも考えていました。勢いで辞めないと辞められないと思ったので、辞める決断は誰にも相談せずに自分一人で勢いで決めました。
辞めると伝えてから辞めるまでは1か月でした。就業規則に「辞める1か月前に申し出ること」と書いてあったので。次が決まって辞めたわけではありません。まずは療養生活をしようと思って、一日でも早くこの場から逃げた方がいいなと思っていました。
ご本人
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インタビュアー
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今はどんなことをされているんですか?
今は無職なんですけど、療養しながらクラウドソーシングなどで仕事を受けています。辞める時点で実家に帰る気はなかったです。ただ、現実的には実家に帰らざるを得なくなったんですが、母も重度のうつ病で、さらに病状が悪化したので、私は今は祖父の家にいるんですけど、それもうまくいってないです。車の中とか図書館とか、無料の場所を探しながら生きてる感じです。正直、生きる術がない状態です。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
今後の展望を聞かせてください。
人数の多い職場は合わない気がしています。ただ、言語聴覚士になったことは後悔していないし、誇りに思っているので、自分の体の状態が安定したら再度働きたいと思っています。一日でも早く働きたいです。
ご本人
ご本人
インタビュアー
インタビュアー
本日はありがとうございました!