インタビュー概要
京都女子大学卒業後、京都大学大学院に進み、2020年3月卒業。
小学生の頃から管理栄養士になると決めて、管理栄養士の資格がとれる学校へ進学。実習や授業で忙しい学生生活を送る。就職後は大きな不満もなく働いていたが、数十年後のなりたい姿を描くことができずに退職を決意。
退職後に留学を経て、現在は総合商社で貿易業務に従事しながら副業でも収入を得ている。やりたい仕事や働き方を実現するために活動中。
小学生の頃から管理栄養士になると決めて、管理栄養士の資格がとれる学校へ進学。実習や授業で忙しい学生生活を送る。就職後は大きな不満もなく働いていたが、数十年後のなりたい姿を描くことができずに退職を決意。
退職後に留学を経て、現在は総合商社で貿易業務に従事しながら副業でも収入を得ている。やりたい仕事や働き方を実現するために活動中。
退職者情報
職種 | 総合職(研究職) |
---|---|
最終学歴 | 私立大学→国立大学院 |
きっかけ | ステップアップのため(数十年後のなりたい姿がなかった) |
決め手 | 体調を崩したため(留学へ向けた勉強と仕事を両立できなかった) |
退職企業情報
業界 | 食品業界 |
---|---|
規模 | 大手企業 |
上場有無 | 上場(東京証券取引所プライム市場) |
インタビュー
食品業界に絞った就職活動
インタビュアー
本日はよろしくお願いいたします。まずは学生時代のことを教えてください。
小学生の高学年くらいから進路は決めていて、管理栄養士になろうと思っていました。きっかけとしては、実際に病院で関わることがあって、身体が良くなっていくのも近くで見れたので、やりがいがありそうだと思ったんです。安心感もあるなと。
大学では実習や授業が多くて、土曜日も埋まっていました。サークルにはほとんど行かずに、幽霊部員みたいな感じでした。バイトもやってたんですけど、サークル同様にほとんど行けなかったので、すぐに辞めてました。休みの時は旅行に行くことが多くて、海外にも行ってました。
大学では実習や授業が多くて、土曜日も埋まっていました。サークルにはほとんど行かずに、幽霊部員みたいな感じでした。バイトもやってたんですけど、サークル同様にほとんど行けなかったので、すぐに辞めてました。休みの時は旅行に行くことが多くて、海外にも行ってました。
ご本人
インタビュアー
忙しい中でもサークルには入っていたんですね。どんなサークルに入ってたんですか?
運動系2つと、イベント系2つです。籍はあるけど、ほとんど行かなかったという感じでした。普段の活動には参加できず、大きなイベントには参加してました。たまに参加すると、知らない人がいましたね。
ご本人
インタビュアー
管理栄養士というのは単位取得が厳しいんですね。
実習とかもあって必要単位数も多いので、遊ぶ時間はなかったです。卒業の直前に受検して、卒業までには結果がわかるという流れでした。
ご本人
インタビュアー
管理栄養士としての就職先について、始めから食品系に行こうという意識はあったんでしょうか?
大学に入ってすぐに、病院とか事業所とかはないなと思っていました。給料がそんなに高くなくて、その割に激務なので。やりがいを感じられたら行ってもいいかなと思っていましたが、そんなこともなさそうだったので、行こうと思いませんでした。
ご本人
インタビュアー
やはり、食品系に就職する人が多いんですか?
そうですね、周りも食品系が多かったです。食品系以外はやっぱり収入が良くないので、その理由が大きいと思います。
ご本人
インタビュアー
就職活動ではどういう企業を受けてましたか?
見てたのは福利厚生とか給料とか、働きやすさです。入ってみないとわからないと思うんですけど、制度が揃ってたりというのも気にしてました。事業内容も見てました。入った会社以外には、5社くらいの会社を受けていました。いわゆる大手の食品系の会社です。
ご本人
インタビュアー
そういう会社だと、管理栄養士枠があるんでしょうか?
あるところはありましたが、それらの求人は面白そうじゃなかったです。入社した会社だと、総合職として受けて、管理栄養士を持ってることはアドバンテージにはなるけど、必須条件ではないという感じでした。
ご本人
インタビュアー
就職活動の様子を教えてください。
大学院に行っていたので、大学院1年生の時から就職活動を始めていました。大学卒業時に管理栄養士を取って、その後に大学院に進学しました。出身も大学も京都だったんですけど、就職は東京に出て一人暮らしをしようと思っていました。
ご本人
インタビュアー
大学院に行く時は就職活動をしてましたか?
してなかったです。まだ就職したくなかったのもありますけど、もうちょっと勉強したいと思ったのと、大学とは違う大学の大学院に行けるチャンスもあったので、そこの大学院に行こうと思いました。
ご本人
インタビュアー
20年卒だとインターンシップが流行ってる時期だと思うんですけど、行きましたか?
入った会社のインターンシップに行って、その流れで内定をもらいました。数日間のインターンシップに何回か行きました。サバイバルみたいな生き残り制で、残ったら内々内定をもらえるような制度でした。大学院1年生の2月くらいには決まっていましたが、その後も就職活動は楽しみながらしばらくは続けていました。
ご本人
入社直前にコロナ禍に突入
インタビュアー
入社した会社に決めた理由はどんなものでしたか?
内定がすごく早かったのと、勤務地が東京と決まっていたことです。他の会社は地方の可能性もあって、それは嫌だなと思っていました。あとは「ホワイトそう」という感想を持ったことです。他の会社はブラックな噂を聞いていたので、「ここの方がいいかな」と思って入社を決めました。
ご本人
インタビュアー
入社前に研修などはありましたか?
10月に東京で内定式みたいなものがありました。研修とかは特になく、その後はコロナが拡がったので、入社式はなくなってしまい、同期とは顔を合わせることもなくなりました。
ご本人
インタビュアー
入社後の研修はどのような内容でしたか?
コロナの影響で、オンラインでの研修でした。入社と同時に東京の寮に入ったのですが、2〜3週間は寮で研修を受講して、「社会人とは」とか「創業者の想い」という内容をインプットしました。研修後に配属先が決定して、配属後は普通に出社していました。私の配属先は東京の研究所でした。
ご本人
インタビュアー
配属先の研修はどんなものでしたか?
配属後はOJT担当の方がいましたが、実務に合わせて具体的な業務内容の手順を教えてもらうことが中心でした。「早く一人前になりましょう」というスタンスで研修が進んでいきました。
ご本人
インタビュアー
入社してからの仕事内容を教えてください。
私はドレッシングの研究担当でした。同じ製造ラインの中でもいろんな種類のものを造っていたので、味の管理はしっかりとやってました。トン単位で製造するので、少量の単位で調合したものに味を限りなく近づけるにはどうするかということを、実際に食べながらやってました。あとは、微生物が増えないようにするにはどうするのかということもやってました。分量が多くなると乳化する条件とかも変わってしまうので、そういうところは難しかったです。
ご本人
インタビュアー
製造工場に行くこともあったんですね。
ありました。ラインを動かしながら、味を確かめながら味の評価をしていました。自分で製造ラインを動かすので、20kgの材料を投入する作業とかは結構しんどかったです。
ご本人
数十年後の自分がイメージできなかった
インタビュアー
1年8ヶ月で辞めているということで、2021年の末まで働かれていたということですね。会社を辞めようと思ったきっかけを教えてください。
総合的に大きい不満はなかったんですけど、20年目の人たちを見ても、なりたい姿じゃなかったんです。課長さんや部長さんは尊敬できる人でしたが、そういう人は少なくて、残念な気持ちでした。入社した時のイメージとはギャップがありましたね。
他にもやりたいことがあったので、ある程度はお金が貯まったら辞めようかなと思っていました。最初の頃は仕事を覚えるので精一杯でしたけど、入社半年後くらいからは慣れてきたので、将来を考えるようになりました。
他にもやりたいことがあったので、ある程度はお金が貯まったら辞めようかなと思っていました。最初の頃は仕事を覚えるので精一杯でしたけど、入社半年後くらいからは慣れてきたので、将来を考えるようになりました。
ご本人
インタビュアー
尊敬できる上司はどのような方だったんですか?
情緒が安定してました。食品系でトラブルがあると命に関わるので、プレッシャーはあるんですけど、何かあった時でも冷静に対応してました。プライベートでは面白い人で、切り替えられていた印象を受けました。仲が良かったので、飲みにも連れて行ってもらって、友達みたいな感じで接してくれていました。仕事ではバシバシしてもらっていたので、オンとオフの切り替えがしっかりしていました。
ご本人
インタビュアー
他にやりたいことがあったということですが、どのようなことを考えていたんですか?
海外に1年くらいは行きたいと思っていて、ただ、タイミングもなくてお金もかかるので行けてませんでした。仕事で行ける可能性はゼロじゃないけど、行けるとしても東南アジアが中心だし、仕事で行くのは違うと思っていました。休職して留学することも考えたんですけど、休職後に「戻りたくない」と思ったらどうしようかなとか、そんなことを考えた結果、潔く辞めようと決めました。
ご本人
インタビュアー
1年目から辞めることは決めていたということでしたけど、仲が良い上司に「辞める」と伝えるのも勇気が必要だったと思います。最後に「辞めよう」と思った決め手はどんなものでしたか?
働きながら留学に向けての勉強をする状態に限界が来ていました。体力的に。職場の休憩中にめまいが起こって立ち上がれなくなるというのが何回かあり、これ以上やったらまずいと感じました。体重も10kgくらい落ちてしまい、周りからも心配されていました。家族からも「帰ってきたら」と言われ、帰ることを決めました。
ご本人
インタビュアー
辞める時に誰かに相談しましたか?
仲の良い上司ではなくて、少し上の先輩には相談していました。家族には辞めるちょっと前に言ったんですが、猛反対されました。ただ、体調を崩したことを伝えると「すぐに帰ってきなさい」と言われました。
ご本人
インタビュアー
仲の良かった上司の反応はどうでしたか?
言う時はかなり緊張したんですけど、留学のことや目標があることに対して「すごいね」と言ってくれました。「一緒に働けなくなるのは残念だけど応援してるよ」と言ってくれました。最後まで尊敬できる上司でした。今でも前の会社の人と飲みに行ったりはしてます。
ご本人
自分で仕事をするために転職、そして副業
インタビュアー
留学後の目標について、考えていたことを教えてください。
サラリーマンで働き続けるというか、自分で仕事をしたいという気持ちがあったので、貿易とか物流について理解しておいた方がいいのかなと考えていました。外国も好きだし、英語もできたので、物流とかマーケティングを学ぶためにカナダの学校に留学しました。2021年の末に会社を辞めて、2022年の4月から2023年の1月の期間でカナダに行きました。最初の2ヶ月くらいは語学を学び、残りの期間で貿易の国家資格を取りました。想定より早く資格が取れたので、2023年1月に帰国したという流れです。
ご本人
インタビュアー
帰国してからの流れも教えてください。
帰国して、2023年2月くらいから就職活動をしてました。メーカーの貿易を見ていたんですけど、募集がなかったりやりたい求人がなかったので、総合商社で大きな流れを掴むのもいいかなと思い、総合商社に入社することを決めました。2023年3月末に、今の会社に入社しました。今の会社では、貿易業務がメインです。物流に携わったり、海外の方との価格交渉や通関業務をやったり、幅広くいろんな業務に携わっています。
ご本人
インタビュアー
今後の展望を最後に聞かせてください。
去年から副業をやっています。翻訳をメインにして、個人で輸出入をやったりイベントの運営をやったりしています。今は大した稼ぎにはなっていませんが、もう少ししたら仕事を辞めて、個人の仕事をメインにしていきたいと思ってます。個人事業主として働きながら、うまくいったら法人化もしていきたいなと思っています。
親も個人で事業をやったり会社を経営していて、身内でも会社を経営する人が多いので、自分で事業を起こしたり会社を経営するようになるのが自然だと思ってました。あと、実際に就職してみて、同じ会社に何年もいるタイプではないなと改めて思うようになりました。今は副業でも収入を得られているので、やれる感覚はあるんです。やってみたいという気持ちもあります。あとは、満員電車が嫌なのもあります・・・。
親も個人で事業をやったり会社を経営していて、身内でも会社を経営する人が多いので、自分で事業を起こしたり会社を経営するようになるのが自然だと思ってました。あと、実際に就職してみて、同じ会社に何年もいるタイプではないなと改めて思うようになりました。今は副業でも収入を得られているので、やれる感覚はあるんです。やってみたいという気持ちもあります。あとは、満員電車が嫌なのもあります・・・。
ご本人
インタビュアー
本日はありがとうございました!