今回は都内の有名私立大学を卒業後、貴金属のメーカーに入社し3年で辞めたK.Oさんへインタビューを行いました。現在はフリーのライターという会社員とは違う働き方をしている彼女が現在に至るまでと、そこから感じた早期離職白書への思いを聞きました。

 

井上 : 退職に至る経緯の前に、まずは大学時代のことを聞かせてください。(以下、青字は井上の言葉です)

 大学はメディア系の学部でした。もともとメディアの役割に興味があって、公募推薦での入学です。そのときの志望理由は「メディアの役割を学びたい」と書いていたと思います。でも、当時はメディア系に就職したいと考えていたわけではなかったです。

 

メディア系の学部ということは就職活動もメディアが中心だったのですか?

 就活は3年生の10月頃からはじめましたが、特にやりたいこともなかったのでとりあえずマスコミを受けていたという感じです。周囲もマスコミ志望が多かったですしね。でも、そんなに強い思いがあったわけではないんです。

 それと、私のときはリーマンショック後で就活が厳しいと言われていて、「とにかくたくさんエントリーしないといけない」というプレッシャーがあって、たくさんエントリーしました。

 でも結局エントリーしたとこはほとんどダメで「これは大企業以外も見ないといけない」と思ったのが4年生になってからです。でも、どうせなら好きなことから仕事を探したいと思い、当時好きだった「大相撲」をリクナビのキーワード検索で調べて見つけたのが入社した会社です。

 会社説明会に行ったら業務内容が自分の知らないことばかりでおもしろくて、そのまま選考を受けたら内定をもらいました。

 

他に内定をもらった企業はありましたか?

ないです。その会社の内定が出た時点で疲れ果てて就活は終わりにしました。内定が出たのは4年生の5月くらいだったと思います。よく覚えてないんですよね。

 

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ここからは、入社した会社のことについてお聞きします。まずは入社から配属までの流れを教えてください。

 入社して一週間くらいはマナー研修とかグループワークとか、あとは先輩社員の仕事内容を聞くくらいです。特に変わった研修はなかったと思います。同期は10人くらいで、私が配属された本社に来たのは4,5人です。研修が終わったらOJTで現場に配属されました。

 

そこからすぐ営業の仕事についたということですか?

 あ、実は違うんです。本当は営業職ということで採用されたんですが、女性の営業職がいないということで、入社の直前に「事務職でも良いですか?」って電話がかかってきました。私も「ま、いっか」くらいに思ってOKをしたので、最初は営業事務の仕事をしていました。

 

入社直前ってすごいですね。営業事務の仕事はどんな内容でしたか?

 主な仕事としては電話対応、来客対応、見積書の作成や伝表整理、工場への納期確認などです。新しい知識が増えていくうちはおもしろいけど、慣れてくるとあんまりおもしろくはなかったです。天気のいい日は「体調悪いです」とか言って、早退して帰ることもありましたよ。なんでこんな天気のいい日に会社に閉じこもってないといけないんだろうと思って。

 

なかなか度胸ありますね(笑)。そのまま営業事務の仕事を続けていたんですか?

 もともとは営業職志望で採用されたのもあったので2年目になった頃に営業も担当し始めました。当初は営業と営業事務を半々くらいで兼務でしたが、半年後くらいには完全に営業担当になりました。

営業担当の仕事はお客さんへの訪問や納品の立ち合い、設計の打ち合わせ、クレーム対応などです。女性の営業担当専属は私が初めてだったのですが、タイミング的に工場研修は行かせてもらえなかったので、正直よくわからない部分もありました。

 

わからない部分があるときついですね。いくつかあるかもしれませんが、辞めようと思ったきっかけを教えてください。

 入社3年目の夏頃からもともと興味のあった別の業界で土日にインターンをはじめたら、睡眠時間が3時間くらいになって「これは今のまま続けるのは無理だな」と思いました。もともと貴金属の業界に興味があったわけではないし、職場に一緒に仕事がしにくい人がいたのも理由です。もうこの人と働きたくないと思ってたので。

 

「この人と働きたくない」と思ったのはどんな人でしたか?

 ちょっとメンタル面で不安定な人でした。とにかく周囲に当たり散らして「自分は悪くないのに、周囲のサポートが足りないから仕事がうまくいかない。」と言っている感じの人です。周りの人もメンタルの不全ということで変に気を遣わないといけない雰囲気で、職場全体の雰囲気が良くなかったです。

 でもその人は「私は絶対会社は辞めない」と言っていたので、それなら自分が辞めようかなと(笑)

 

それで辞められるってやっぱり度胸ありますね(笑)辞める時に誰かに相談しましたか?

 直属の上司には話はしましたが、そのときにはもう辞めようと決めていましたので相談という感じではないですね。辞めたらインターンをしていたところに行こうと思っていて、インターン先からも「来るなら来れば」という返事はもらっていたので、辞めるのは心の中では決まっていました。結局ぴったり3年で退職です。

 

辞めたあとはどんな仕事をしていたんですか?

 美術のギャラリースタッフです。アルバイトですけどね。

 実はそのギャラリーも8ヶ月くらいで辞めてしまいました。業務内容が作家のマネジメント的な仕事なんですが、作家の方って常識にとらわれない方が多くて、ストレスはありました。

 オーナーは本当に仕事を命かけてやっている感じの人で、すごいなと思うと同時に「自分はそこまでできないな」とも思ってました。そんなタイミングで白内障にかかって、手術のために仕事を休ませてもらったんですが、休んでるときに上司とのコミュニケーションをうまくとれなくなって・・・。自分の中で「もう辞めるしかないな」と勝手に決めてしまったんです。今考えるともっとうまいやり方もあったかなとは思うんですけど、当時の自分には「辞めるしかない」という考えだけでした。

 

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辞めた次の仕事もすぐ辞めたというのは私も同じです。そこから、現在に至るまでについても教えてください。

 ギャラリーを辞める時は「他にやりたいことがあるから辞めます」と言って辞めたので、改めて自分がやりたいことを考えてみました。そうしたらやっぱり新聞だと思って新聞社を受けたんですが結局全部ダメで、そのころに「就職しないで生きる方法もあるのかも」と思うようになりました。

 そうは言っても働かないと生きていけないので、出版社の事務職を受けたとき、面接官の編集長から「君がやりたいのは事務じゃなくて編集とかライターじゃないの?バイトならそういう仕事あるよ。」と言われて「確かにそうかも」と思って、バイトとして編集の仕事をはじめました。

 ただ、出版社ではお金のためにライティングをしている雰囲気の人が多くて、「私はお金のためじゃなくて、好きなことのためにライティングがやりたい」と思うようになっていきました。

 しばらくすると、縁あって広報のライティングの仕事をもらえることになって、その頃からフリーのライターとして活動をはじめました。確か2014年の夏頃だったと思います。現在はライターの仕事がメインです。

 

紆余曲折ありながらも、自分の好きなことを仕事にしているんですね。今後の展望とか夢を教えてもらってもいいですか?

 今のメディアへの不満を自分の力で変えることを仕事にしたいと思っています。もしかしたら大学の新聞学科への志望動機で書いた「メディアの役割」を変えることが本当の想いなのかもしれません。ライティングだけではそれは難しいかもしれないけど、例えばノンフィクションの賞をつくるとか、そういう形でメディアを変えたいという想いはあります。

 

メディアの役割を変えるのは大変そうですね。最後に、会社を3年で辞めることについてどう思いますか。

 辞めるのは悪いことではないと思います。続けることも大事だとは思いますが、無理して続けることはないし、最終的に本人が決めればいいのかなと。ただ、何かを成し遂げようと思ったら続けないとダメだとは思うので、自分にとって最良の選択だと思えるかどうかが大事な気がします。

 

ありがとうございました。

 

 

 

一流大学に入り、周囲と同じように大企業を受けたが内定が得られず、中小企業に目を向ける。入社した会社を3年で辞めて好きな業界に飛び込んだけど結局退職して現在はフリーランス。これまでの「一流大学卒の成功モデル」から考えたら、彼女は逸脱しているかもしれません。ただ、これからの目標を語る彼女は非常に楽しそうで、希望にあふれているように見えました。

もっとも、彼女も「まだまだ十分に飯が食えてるってわけじゃないですから」と言っている通り、収入面では不安定な部分もあるようです。

キャリアにおいては何が正解で何が不正解というものはないはずです。彼女のような生き方に憧れるなら、思い切って会社を飛び出すことも必要かもしれません。ただ、彼女自身も2社目も辞める時に「辞めるしかないと思ってしまった。」と語っているように、少し冷静になれば他の方法があったというケースも少なくはありません。

大事なのは、彼女の様に他の人にせいにせず自分の目標にまっすぐ突き進むこと。私はそう思います。