夢を語るのは良いことなのか?
「夢に日付を」は某居酒屋チェーンの創業者の有名な言葉ですが、それ以外にも「子どもが夢を持てる社会を」とか「若者はもっと夢を語ろう」という主張の方は少なくありません。
最近では朝礼で夢や目標を発表する取り組みや、組織のメンバーが集まって過去を振り返りながらこれから取り組みたいことを語り合うダイアログといわれる取組みもあります。
これらの取組みは、夢や目標を意識したり、あいまいだった目標を明確にするという意味で効果的でしょう。
一方で、本当は自分の夢でも目標でもないことを「こんな夢を語れば評価されるだろう」という打算的な考えでその場を乗り切る人がいるのも事実です。
先日とある企業の社員にインタビューをしたときのこと、その会社で導入している夢を語る研修についてこんなことを言っていました。
「新入社員のうちに夢や目標のプレゼンをする機会が何度もあるけど、あんな研修を何度もやるくらいなら、もっと本音を言い合えるような研修とかをした方が良いと思います。辞めていった同期と話していても『結局、研修の場を乗り切るためにウソの夢を語ってもやる気なんてでない』という意見が出ていました。」
夢や目標はないよりはあった方がいいと思います。
でも「夢なんてないです」と素直に言える環境っていうのも必要じゃないでしょうか。
「夢なんてないけど、生活のために仕事してます。この会社に入ったのも、唯一内定が出たからです。」というのが正直な意見だという人もいるでしょう。
それでもいいじゃないですか。なんて、夢がないといけなんでしょうか?
夢を語れるのが素晴らしいことだという考えを否定するつもりはありません。その通りだと思います。
けれども、嘘の夢を語らせてまで「夢が大事!」とか言うのはやめにした方が、会社の社員も幸せになれる気がします。