企業研修の場はおもしろいもので、同じ会社でも参加者によって毎回雰囲気が違います。集合研修のように複数の企業の方が集まってくるような場であってもそれは同じで、こちらが何も話さなくても勝手に盛り上がりだす会もあれば、静かで落ち着いた雰囲気の中で進む会もあります。

議論を収集させるのが大変なくらい盛り上がった会に参加した人が、別の会では全体が静かで落ち着いて進める雰囲気のなか、静かにしているということもあります。どちらも同じ人物なのですが、全体の雰囲気によってキャラクター自体も変わってしまうのです。うまく場になじんでいる、空気を読んでいるとも言えますし、目には見えない強い同調圧力がかかっているのかもしれません。
このような状態を見ていると、みんな無意識にその場での「正解」を求めている気がしてしまいます。

研修の受講姿勢も会によって違いがあるのですが、おおむねの傾向として若い世代の人たちの方が純粋に楽しんでくれます。一方30代以上の参加者が中心になると、途端に「正解」を意識しはじめます。多くの人が「仕事には決まった一つの正解なんてない」ということには賛同するのにも関わらず、意識的なのか無意識か正解を求めているのです。

例えば、仕事とはまったく関係のないファンタジー世界でのロールプレイングですら、正解を求める姿勢は同じです。私が「今回のワークは一つの正解があるわけではないですよ。大切なのは、そう考えた根拠ですよ」と言っても正解を探し始めます。

「社会に出たら一つの正解なんてない」
社会人が大学生などにアドバイスをするときによく聞くことばの一つです。私もその通りだと思います。
それにも関わらず、大人たちの方が正解を求めてしまっている気がしてなりません。ケーススタディにおいても「こういう場合はどうしたらいいのか」「どうやれば正解だといえるのか」など、正解を意識しています。

また、キャリア教育の現場でも高校生や大学生に対して、「講師にとっての正解」を必死に教えているケースも散見されます。
「ニートは絶対ダメ!目指すなら正社員!!」とか。

大学生くらいになれば、正しく情報提供をしてあげれば自分である程度の判断は可能です。そう考えれば、大人にとっての正解を押し付けることよりも大学生本人にとっての正解にたどり着くような情報提供の方が重要なはずです。
しかし、情報提供する側が正解ばかり追い求めていては、いつまでたっても正解の押し付け合いになってしまって、正解に合わない人は排除しようという意識・力が働きます。これが同調圧力にもつながっているのかもしれません。

いつも、どんなときでも正解を求めることが悪いとは思いません。ただ、自分の正解と他人の正解は違うこと。情報の非対称性のなかで、それは当然起こり得ることだと認識できれば、大人になってまで他の人に正解をおしえてもらおうという意識は減り、正解の押し付け合いもなくなって、もっとハッピーな人が増えるんじゃないかと思っています。